四季盛農園 式森彦人が、果樹・みかんの栽培から販売について、約1年間執筆した月刊誌「現代農業」への平成27年の寄稿文を紹介します。
ここからが本番
春の施肥、せん定から始まり、薬剤散布、摘果と一連の農作業をこなして、いよいよ収穫作業に入っていきます。この時期は「今年の全国の作況はどうか」「価格は?」「味はのっているのか?」「糖は? 酸は?」「どの品種をいつ収穫し、どのように出荷するのか」、また秋から冬にかけての気候も気になる」など、いろいろと考えてしまいます。まるでオープン戦を終えてペナントレースを待つ野球チームの監督のような、テストが終わり試験結果を待つ学生のような、期待と不安の入り混じった複雑な気分です。
しかし、半年以上の時間と労力をかけてできた商品が、収穫時期の判断ミスやトラブルでムダになることもあります。栽培管理が終わったからやれやれではなく、収穫と出荷が同時進行するこれからがむしろ本番であると考えています。
完熟手前収穫で高品質、腐敗も少ない
果物の「完熟」という言葉はいかにもおいしそうで食欲をそそり、耳に響きますよね。確かにモモやナシなどは甘さが増したり、果肉がジューシーになるなど、食味が向上し、貯蔵がきかないというと欠点を補って、消費者を獲得しています。これら落葉果樹には完熟という栽培方法にいくつものメリットがあると思うのですが、カンキツ類の場合、私は魅力というかメリットを見出せません。
もちろん、なにをもって完熟とするか、その定義は難しく、たとえば「このミカンは完熟です」とうたえば、消費者はおいしくて甘くジューシーなイメージを抱くでしょう。しかし、実際の完熟ミカンは果皮が粗く軟弱で、品質的に落ちます。また、完熟したからといって、糖度が上がるとは限りません。
最近は秋の多雨と高温で浮き皮傾向となり、コンテナ貯蔵では圧迫によって変形果になりやすく、貯蔵も利きにくいですね。また遅くまで成らせることにより、樹に負担がかかるのでしょう。次年度の着花数が少なくなり、隔年結果を招きやすいようです。
そのようなさまざまな理由から、わたしはだいたいですが、完熟手前80~90%のとこで収穫します。果皮がなめらかで張りがあり、長期貯蔵にも耐えられます。また貯蔵中の腐敗果が少なく、かえって品質の向上が見られます。特に晩生ミカン(12月中旬収穫、3月下旬まで出荷)で、そのメリットが大きいようです。今年、4月下旬出荷を目標に、ある雑柑を12月下旬、1月中旬、3月初旬と3回に分けて収穫し、貯蔵実験を行なったのですが、最も品質がよく、腐敗率が低かったのは12月に収穫したものでした。3月に収穫したものは、品質が悪く、腐敗果が最も多かったですね。
消費者のミカン離れを食い止めたい
最近はどの業種においても、物が売れない時代になったと思います。ミカンも価格の低迷が長いですね。私の記憶ではかつて全国の収穫量が最高で380万tまでいったはずですが、昨年度は80万tまで落ち込んでしまいました。収穫量が四分の一、五分の一になっても価格の上昇が見込めないは、いろいろな理由があるでしょう。果物だけでなく多種多様な食べ物が増えたことや食生活の変化など、消費者側の理由もあります。一番はおいしいミカンが少なくなったことだと思います。温暖化といわれだしてから、西南暖地の極早生の味が特によろしくないですね。そのミカンが最初に市場に出回り、評価を落とす……、どうもそれが消費者のミカン離れを引き起こしているように思えてならないのです。
栽培と販売は表裏一体
そのような中、よく人から「つくることも大事だけど、売ることのほうがもっと大事ですね」と言われます。どちらに重心を置くかはその人の考え方や経営方針によるのですが、さて、どうでしょう。農業もひとつの経営体あり、園主はプレーイングマネジャーでなければならないという考えから、営業に出る時はそのカバンにできるだけ魅力ある商品を入れたいと思っています。すると、おのずと栽培にも力が入ります。逆に自信のないものを持って、営業にでることはできません。
つまり売ることはつくることであり、つくることは売ることでもあるのです。栽培と
販売は表裏一体で経営という車の両輪であると考えています。また栽培の時には販売のことを、販売の時には栽培のことを考えるのも大切ですね。
農業とはそういうものだといわれれば、それまでなのですが、市況や作柄により経営が左右されるのはつらい話です。ミカンが高かったら所得が上がるのは当然ですが、「市況が悪かったけど、それなりに乗りきった」と言いたいですよね。自分も含め、農家自身が経営者という自覚と意識を高めて、偶然性に頼った不安定な経営から必然性の高い安定的な経営へと改善していきたいと思います。